mezash1taiMoviのブログ

ミニマル生活めざし隊 2番隊組頭 Moviのブログです。雑念と物があふれた我が家にミニマル生活を呼び込むべく、こんなのあったらいいな、できたらいいなを考えるブログです。

ミニマル生活の質的基準

以前のコラム(2017年4月5日参照)で、

端末評価のミニマル生活的基準を考察してみた。

今日は生活そのものの質について、ミニマルな

視点から見てみよう。

 

そもそも「生活ってなんだ?」。

カンタンだ。「生」きるための「活」動だ。

ってこたぁ、ミニマル生活とは、

①ミニマル「に」生きる活動なのか?

それとも、

②ミニマル「で」生きる活動なのか?

はたまた、

③ミニマル「を」生きる活動なのか?

 

なんかとんち問答みたいだ。作麼生、説破。

①は、とにかく全てを最小に生きてゆく活動。

コンパクトに生きると言い換えられそう。

ちっちゃくちっちゃく生きてく感じ?

物理的視点からすると、グローバルミニマムに

落ちるのが正しい選択でしょう。

(2017年5月6日の記事参照)

 

それに比べて②は、少ない物で生きる活動。

目指すは"何かの最大化"でしょう、きっと。

少ない資源を最大限活かしきる!

高効率な生活スタイル?

 

じゃぁ、③は?

 ズルい言い方をすると、①と②の掛け合わせ。

ベイズ統計のように状況を鑑み判断する変幻

自在に生きる活動、と言えるのかな。

いわゆるローカルミニマムで高効率に生きる。

 

こだわりってものを持って来れば、美しいのは

①(質素倹約、御坊様のような生活)or②(持ってる

ものは必要最小、あとは外部に頼る、ある意味

お金のかかる生活)。

この二つは、世界のどこにいっても"変わらない"

物理の視点でもとても美しい生活だ。

 

一方、 ③は?

察しの良い方は、もうわかってるだろう?

 

話が長くなった。今日はここまで。また次回。

真空鍋

 作ったものをそのままにして大丈夫な季節が終わった。

これからは、少なくとも冷蔵庫に入れる必要が出てくる。

 鍋のまま、入れられるのが良いけど、うっかり入れ忘れると

たちまち新世界が鍋の中に出現する。

 

こんな時期に欲しくなるのが、「真空鍋」。

一種の圧力鍋みたいなものだけど、勝手に真空になって、

かつ、蓋を取っても爆発しない安全機能付。

もちろん、冷やさないと蓋取れないなんてこともない。

 

万一、落としても、真空で蓋が勝手に飛ばないからこぼす

こともない。

真空だから、新世界がはびこることもない。

 

これからの季節、共働きの家庭には必須のアイテムだ。

圧縮機能付リュック

リュックはすごく便利な運搬道具だけれど、

隙間があると、書類がよれてしまったり、

クリアファイルだらけになって、かえって

重くなったりする。

 

そんな時欲しいのが、「圧縮機能」。

布団とか長期にしまい込む時に使うアレだ。

逆止弁はもちろんだけど、圧縮ボタンを

押すだけで、自動で空気抜き完了。

便利な掃除機要らず。

余分な空間を減らす他に、真空パックみたい

鮮度が保たれるようになるかも。

そうなったら山行する人にはダブルで

おいしい。。。かも!

 

 

メール送信予約機能

緊急の仕事があると、時間問わず連絡が入る。

そういうポジションは辛いところだけど、

さらに連絡を入れなければならない時、夜中だと

さすがに躊躇する。

 

そんな時欲しいのが、「メール送信予約機能」。

特にガラケに付けたい。

忘れないようにメールは今、打つけれど、送信は明朝。

送信忘れがないように、脳みその容量、他に使えるように、

予約を今入れておく。

 

そういうメール送信予約機能があったら良いなぁ。

神の数式・宇宙の起源とミニマル生活

ディラックに始まり、ワインバーグまで来て残り重力を取り込んだら

神の数式が完成する。。。らしい。

ホーキングが研究し続けているブラックホールと宇宙の始まり、

量子力学相対性理論の統合も、もうちょっとで完結。。。しそうだ。

ヒッグス粒子が空間を埋め尽くし質量をもたらすという描写も、

余剰次元が空間を埋め尽くし、重力を弱めているという描写も、

慣性質量と加速度によって、重力が表現されるニュートンの描写も、

結局は同じでしたっていう当たり前すぎてみんな知ってますっていう

つまんない結論で終わるんじゃないかな?

問題はその先。"何故に我々は存在し、何の為に生きるのか?"の答えを

物理学は指し示すことがあるのだろうか?

 

否。

 

理論物理学において、恣意性は認められない。一般性のみが称賛を得る。

個々に生きる目的が違うように、自由意志はヒューマニズムにおいて

ようやく陽の目を見るのだ。

 

なーんて科学番組を見ながら難しいことを考えてしまった。

 

ある意味、ミニマル生活は物理学の理念に似ている。

物理学では、全てを説明する一本の数式、神の数式を探求している。。。らしい。

ミニマル生活も、生活の全てを賄う必要最小限を探求する。

両方とも多項式、つまり足し算のカタマリだ。

 

あんまり項が増えないように、今日も持ち物を整理選別する一日でありました。

ミニマルと生活

今日で、ミニマル生活を目指し始めて、1ヶ月と5日。

三日坊主の私にしては、長続きしているもんだ。

 

今日は何もする気にならなかった。

家の片付けし放題の連休だけど、日頃の不摂生の呪いで

年中カラダがダルい。仕事の疲れが抜けないだけなのだが、

やらなきゃいけない仕事も手がつかず、一日ベッドで床で

くっちゃねくっちゃねしていた。

改めて料理上手な相方に感謝。

 

"生きる"ための"活動"と書いて"生活"。

そう、wikipediaにも広辞苑にも書いてある。そう。生活とは

活動だから、人それぞれの規模がある。

一方、"ミニマル"は"必要最小限の"という形容詞だ。wikipedia

よれば、ミニマムとも少しニュアンスが違うらしい。

 

究極のミニマル生活は、カラダ一つ、財布入れ一つのホテル暮らし。

着るものは、下着一組と仕事着一着。

ここまでくれば、ミニマル生活=ミニマム生活と言えるだろう。

(住民登録はどうするんだろ? 移動さえしなければ、ホテルの住所で

登録できちゃうのかな?)

 

じゃぁ、自分の場合は、どうか?

これがどうにも難しい。入り用な物が、自分ひとりだけじゃないから。

ひとりなら自分の感覚だけで全部揃えられる。ある意味、簡単だ。

けど、相方が居て、相棒も2匹居るとなるとなかなかそうもいかない。

自分だけならストイックにいけるのに、他のがいると、どういうわけか

"保険"という名の"余白"を設ける。例えば、地震の時のキャリーケースとか。

 

生活には規模がある。

ミニマル生活を目指すには、まず自分の生活の規模を見定めなくては!

なかなか奥が深い。。。