携帯発電機
iPhone、Android、iPad、galaxyなどなど、世界はカラフルで高速で随分と薄くなった。
ポータブルで物が少なくてある種快適に(満員電車では不快に)なった。
なのに、これらの機器の充電は、未だに有線だ。
電池が切れると会話の途中でもコンセントのところへまっしぐら。そしてその場から
しばらく動けなくなる。
そこで欲しくなるのが、「携帯発電機」。
理想はマウスの受信機サイズ。デバイスに挿したままにしておけるのが良いよね。
今のご時世、電波は飛びまくってるから、それを機動力にしてコイルに電流を流し、
発電する。要はいかに巻き数を大きく、かつサイズを小さくできるかってことですね。
物理的にコイルにするでもよし、ハードディスクが集積回路に置き換わったように、
素材を工夫するでもよし。
ウェアラブルが当たり前になって久しいけれど、ますます電気供給が重要になって
いくのは間違いないですね。
人工知能の悲劇~彼らは心を持つのかという学術的好奇心の不幸〜
AIが世間を賑わせて久しいが、今もって彼らが心を持つかという
生産性のない話題が紙面を飾ることがある。
これについては、私もずいぶん仲間と議論を交わしたことがあるが…
結論から言えば、不幸しか生み出さない議論ではないだろうか?
① AIは極めて優れた技術だが、反応は似せることがあっても、
機体に悪影響を及ぼすものであっては困る。
機械は、人間を単調、危険、重労働な物から解放するために
作成された物であって、人間と同じように疲れた、痛い、怖い
といった"感情"を持たれては、採算に合わないのだ。
② アンドロイドやアイボなどの愛玩機体についてはあるいはそれに
似せた反応を提示するよう、プログラムすることがあるだろうが、
人体に危害を及ぼす可能性がある場合、本当にメーカー側に責任
を問わないと約束できるだろうか?
故に、実用的なAIとは、あくまでも"人類に有益"な枠組みの中で自由
なのであり、人が持つ心とは本質的に異なったものであると言わざる
を得ないのではないだろうか?
しかし、AIが持つ心は、より狭い枠組みであるが故に、きっと本物の
心よりも理想的で美しいものであるに違いないのである。
閑話休題: 足もとの春
なんだか忙しくて、全然目もくれなかったけど、
春が来てました。
まだまだ寒い日が続いております。
どうぞご自愛下さいませ。
トンネルを抜けると そこは…。
ミニマル生活の質的基準
以前のコラム(2017年4月5日参照)で、
端末評価のミニマル生活的基準を考察してみた。
今日は生活そのものの質について、ミニマルな
視点から見てみよう。
そもそも「生活ってなんだ?」。
カンタンだ。「生」きるための「活」動だ。
ってこたぁ、ミニマル生活とは、
①ミニマル「に」生きる活動なのか?
それとも、
②ミニマル「で」生きる活動なのか?
はたまた、
③ミニマル「を」生きる活動なのか?
なんかとんち問答みたいだ。作麼生、説破。
①は、とにかく全てを最小に生きてゆく活動。
コンパクトに生きると言い換えられそう。
ちっちゃくちっちゃく生きてく感じ?
物理的視点からすると、グローバルミニマムに
落ちるのが正しい選択でしょう。
(2017年5月6日の記事参照)
それに比べて②は、少ない物で生きる活動。
目指すは"何かの最大化"でしょう、きっと。
少ない資源を最大限活かしきる!
高効率な生活スタイル?
じゃぁ、③は?
ズルい言い方をすると、①と②の掛け合わせ。
ベイズ統計のように状況を鑑み判断する変幻
自在に生きる活動、と言えるのかな。
いわゆるローカルミニマムで高効率に生きる。
こだわりってものを持って来れば、美しいのは
①(質素倹約、御坊様のような生活)or②(持ってる
ものは必要最小、あとは外部に頼る、ある意味
お金のかかる生活)。
この二つは、世界のどこにいっても"変わらない"
物理の視点でもとても美しい生活だ。
一方、 ③は?
察しの良い方は、もうわかってるだろう?
話が長くなった。今日はここまで。また次回。
圧縮機能付リュック
リュックはすごく便利な運搬道具だけれど、
隙間があると、書類がよれてしまったり、
クリアファイルだらけになって、かえって
重くなったりする。
そんな時欲しいのが、「圧縮機能」。
布団とか長期にしまい込む時に使うアレだ。
逆止弁はもちろんだけど、圧縮ボタンを
押すだけで、自動で空気抜き完了。
便利な掃除機要らず。
余分な空間を減らす他に、真空パックみたい
鮮度が保たれるようになるかも。
そうなったら山行する人にはダブルで
おいしい。。。かも!