mezash1taiMoviのブログ

ミニマル生活めざし隊 2番隊組頭 Moviのブログです。雑念と物があふれた我が家にミニマル生活を呼び込むべく、こんなのあったらいいな、できたらいいなを考えるブログです。

給食制度とおふくろの味・妻の味(残飯ゴミの削減をめざして)

なんだか最近、食へのこだわりというか、期待がなくなってきた。

別段、食べても食べなくてもと、つい思ってしまう。

お母さんたちも、旦那、子どもがいなかったら、自分のために

わざわざ作ることをしない人が多いようだ。

 

そういう意味では、三食給食制度というのは、無駄がなくて良い。

作る手間も、食べ終わった後の洗い物、手荒れから解放される。

給食センターの職員は、ずーっと食事を作ってなきゃいけないかと

いうと、実はそうでもない。

現代の日本では有名なことだが、職人が握る寿司と機械が握る寿司

味音痴なら気にならないレベルになってきている。

1億2千万人分を作るのは考えるのも大変だが、献立さえ決めたら

あとは"文句を言わない鉄人"がせっせと作ってくれるだろう。

世の中、料理本はあふれているから、あとは決めるだけなのだ。

その後は、本人が食事を抜く以外、一切の無駄が出ないことは

昨日の記事の通りだ。

 

こう考えてくると、廃棄にまわる食糧を増やしているのは、実は、

家庭料理とか料亭、コンビニ弁当なんてものがあるからだと見えて

しまう。

外食生活には飽き飽きしてきた今日この頃だけど、果たして、家庭

の味、いわゆる、おふくろの味、妻の味は、残飯ゴミの根源なのか?

 

ゴミの観点からすれば、答えはイエスだ。

 選択肢の幅を広げることは、もれなく無駄が出る確率を上げる。

意思の尊重とは、守られるべき素晴らしい概念だが、悲しいことに

食に関してはゴミを生むことを許容することになるのだ。

 

だけど、生存競争の緩和、生物学的観点からすると、ある程度は

必要悪だと言えよう。

三食給食制度にすれば、残飯ゴミの発生は極限まで抑えられるが、

皆が同じ味覚、同じ嗜好になったら、ニッチの争いが絶えないだろう。

言ってみれば、食物の奪い合いである。

今こうして日本が平和なのは、皆がそれぞれの家庭の味を持ち、

それらが微妙に違うから、ニッチの争いが緩和されているのだ。

違いを楽しむなんて、ちょっぴり素敵じゃないか。

 

いいとこ取りして、残飯ゴミを減らそうと思ったら、三食給食制度を

分割して、各家庭、料理店で受け持つ人数をリアルタイムに確定すれば

いいのだろうけど、アプリでなんとかなりそうかな?

ご飯の用意アラームアプリ、なんてね。

 

まだまだ考えてみる余地はありそう。

今日のところは、これにてドロン。