真空とエーテルと、野菜を切るということ
現代の最新の物理は、相対性原理を礎に展開されている。
これの大元になった大実験がマイケルソンモーレーの干渉実験である。
干渉縞が出ないから、エーテルは存在しないと宣言した、、らしい。
よく見る光の干渉の実験は、表面の「反射波」と物質の中を走って
裏側で反射した透過波の重ね合わせで説明される。
でも、マイケルソンモーレーの実験は、全て物質の中を透過した波の
重ね合わせである。これに地球の自転、公転による差をかけて、
どういうわけかエーテルの存在を否定し、相対性理論が出来上がった、、のかな?
光速は地球の自転、公転の速さの何倍だ?
そもそも屈折率の同じ空間(空気を含む)の中を走った光同士なのだから、
何故位相がズレるのか説明して欲しいくらいだ。
それはさておき。
世界は波でできている。tacicaのあの曲が聴こえてきそうだ。
波の世界で、「切る」とは何か。
ある種のウェブレットが2つのウェブレッツに分かれることだろう。
この目の前のニンジンというウェブレットが、半月型のウェブレッツに。
このウェブレッツ達は何故か互いに干渉して元には戻らないのだが、
それはさておき。
ものを切るには、よく研いだナイフが必要だ。
ナイフを研ぐとは、刃先を鋭利にする行為だが,これを波で表現しようと
すると、重ね合わせの原理からものすごく多くの波を集めることになる。
研げば研ぐほど、鋭利に、つまりより多くの波が集まる。これもまた、
デルタ関数に近いウェブレットなのだが。
こうして考えると、ニンジンを鋭利なナイフで切るという行為は、
ウェブレット同士を交錯させて、ニンジン側のウェブレットの間の波を
打ち消し、凪を生じさせる行為として観れるのではないだろうか。
朝から脳がおかしい。
しばらく難しいことは考えないようにしよう。